【山田高塚古墳 推古天皇磯長山田陵】
ヤマダタカツカ コフン スイコテンノウ シナガヤマダミササギ
7世紀前半
方墳(長方形墳?)
墳丘長 南北約58m・東西約59m / 三段築成
※三段目 南北約25m・東西約33m
長方形
主体部:横穴式石室の可能性 /
埴輪:なし / 葺石:なし /
●大阪府南河内郡太子町山田3320-2
●墳丘南側 二段目上面テラスの石材(東石、西石)
・両石材間の距離は約3.5m
・石質:花崗岩
・二段目テラスには他に2個の花崗岩の石材が確認されている。
・石材は東石室、西石室それぞれの石材の可能性が高い
・『山陵』(大正十四年刊行)では、石室の中に石棺が2つ並び、右は推古天皇、左は竹田皇子であることを記している。東石室と西石室のどちらなのか。
●貼石
・長さ40cm・高さ25cm・奥行25cm
・三段目東側斜面において、樹木の根起きによって貼石の存在を発見
・石質:花崗岩
・大型墳への貼石は、7世紀前半までは硬質な花崗岩主体、7世紀後半頃から軟質の凝灰岩主体となることが確認されている。
・「文久修陵図」には貼石が表現されていない事から、貼石は墳丘築造当時のものである可能性が高い。
●ヒトリゴト
推古天皇・竹田皇子合葬陵墓に治定されている古墳です。
墳丘規模について、様々な数値が出ていまして、そこから導き出された墳形は「方墳」?「長方形墳」?、それとも1段・2段目は正方形、3段目が長方形とみるべきなのでしょうか。素人には非常に悩ましい問題です。
今回は、福尾正彦氏の報告を参考にさせていただきました。
<参考文献>
・福尾正彦 1991 「推古天皇陵の墳丘調査」『書陵部紀要』第42号
・横田真吾 2021 「平成30年度 推古天皇 磯長山田陵台風被害木処理工事に伴う立会」『書陵部紀要』第72号陵墓篇
・太子町・太子町教育委員会 2018 『国指定史跡二子塚古墳保存活用計画』